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zoom RSS 7、憲法違反の日教組教育

<<   作成日時 : 2005/10/25 18:24   >>

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目次
1、卑怯者の誕生
2、憲法違反の偏向教育
3、日本国サヨク憲法
4、GHQ真理教信者 ※サヨクの方にお薦め
5、教科書もおかしい
6、非常識裁判(神奈川県・県立高校の先生)
7、味気ない教師(卒業式の歌に見る)
8、日教組が育てた模範的保護者の反撃

 ★1、卑怯者の誕生
(1)偽装建築士の誕生
 「強度偽装建築士は、何故誕生したか?偽装を知りつつさらに建築を続けた建設会社は、どうして誕生したか?」
これは、地震があり死者がでれば殺人罪になる行為をお金(生活)のために行う人間が誕生してきたことを示している。

 これを一言で言えば、「卑怯」である。卑怯とは侍がもっとも恥とする言葉の一つである。即ち、戦後の教育でもっとも欠けているものが「卑怯なことをしてはいけない」という「道徳、倫理あるいは修身」ともいうべき徳目なのだ。

 私達はどうして、「卑怯なことをしてはいけない」と、子供達を叱ることができなくなってしまったのであろうか? 

(2)イジメ 
 イジメも同じである。大勢の人間が少数の人間をいじめる。あるいは力の有る強い人間が弱い人間をいじめる。これは「卑怯」である。「卑怯なことをしてはいけない」と言えばよいところを、今の教育者は、何と言うのだろうか?
 「人には優しくしなさい」とか「みんな平等なんだから、いじめてはいけない」とか「いじめられる人のことを考えて、いじめるのはやめよう」とか「人のいやがることはするな」というようなお説教をたれるのではないだろうか?

 そして、いじめられた人のためにカウンセラーを手配し、なすべき対策をとったというのではないだろうか?

 これが、教育だろうか?

 こんなときは、「イジメは卑怯である。卑怯なことをするな!」といえばよい。
即ち、戦後の教育(親の教育も含む)にもっとも欠けているのが、理屈抜きの 「卑怯なことをしてはいけない」という言葉なのである。以上(1)(2)は、
 ※藤原正彦著「国家の品格」新潮新書 680円 を読んでの感想文です。
      平成18年1月23日 

(3)金かね亡者の誕生
・ 今日(1月24日)の朝刊各紙には”ライブドアー堀江貴文逮捕”の文字がトップを飾った。金のためなら何でもするという人間の行く末を暗示している。
・ 堀江氏の経団連入会を承認したばかりの経団連の奥田会長は、つぎのように論評した。「・・(前半略)・・・、ライブドアーのようなケースは少数派。新規事業の多くがダメだとか、ベンチャーはみんな金もうけなどとは言うつもりはない」と。奥田会長は、昨年金もうけのために小泉首相の靖国参拝を批判した男である。こんなことを言う資格があるのだろうか?
・ 同日のテレビは、兵器に転用可能なヤマハ発動機の「無人ヘリコプター」の中国への不正輸出について報道している。  みんな金かね亡者ではないのか!
・ビジネスホテル東横インは、初めから設計図を2枚用意し、建築完成検査が終了したら即刻(一月もたたないうちに)別の設計図に従って改造していたという。卑怯を絵にかいたようなものである。(1/30追加)
(4)まとめ
 これもまた、「卑怯なことしない!」という道徳観の欠如ではないか!
世の親よ!日教組の先生よ!「卑怯なことはするな!」と教育せよ!
   平成18年1月24日

2、憲法違反の偏向教育

 現在の一部偏向教員は、学習指導要領の規程(例えば国旗・国歌の指導)を強制してはいけないと言って、無視しながら“思想信条の自由”などという憲法条文を持ち出し、何かあると裁判に持ち込み嫌がらせをする。
 このような偏向教師の行為は違法であり憲法違反である。なぜか!!

 憲法26条は『すべての国民は法律の定めるところにより教育を受ける権利を有する』ことを定めており、学習指導要領は教育関係法体系の末端に存在している規定であり教育関係者が従わなければならないものである。
従って「思想信条の自由」などということを根拠に本来の法律によって定められた規程を無視する教師は教師の資格はない。

 彼らには何時でも教師を辞める自由が与えられている。自分の思想信条を押し通したいなら、国民の税金を搾取するのは即刻やめて、自分で塾でも開いて自由に教育すればいいのである。

 税金を搾取しながら法律に従わないというのは「甘ったれ」であり</span>、「卑怯である」。

  ⇒★学習指導要領の法的性格について(コメント:参照)★
     平成17年10月25日 (平成18年1月26日緑字部分追加)


 3、日本国サヨク憲法
 
 ★ 要旨、★

 偏向教育教師は、国旗国歌に反対する。そこで、彼等の国旗国歌反対の論理について検討する。

「国歌・君が代は、(憲法第一条に規程された日本国の象徴である)天皇即ち日本国が永遠に繁栄しますように」という意味だと書いたら、サヨクの女の返信は「天皇は、単なる象徴でしょ!」だった。

 サヨクの言動は私達には理解しがたい。例えば、彼等は天皇制に反対する。ということは憲法第一条の規程に反対なのであるから現憲法反対派であると思うのだが、彼等は「護憲派」を名乗り憲法改正反対を叫ぶ。

 即ち、彼等の言う日本国憲法は一般国民のそれではない。日本国サヨク憲法(以下サヨク憲法と略す)」である。サヨク憲法などと言っても一般国民は全く知らないのだから、理解できない。

このことが、サヨクのパンフレットを見るとよく分かる。

★★サヨクの国歌反対パンフレット★★

下記は、日野市の「”君が代”強制に反対する市民の会」が成人式の日に配布した2000年1月8日付けの宣伝ビラ(抜粋)からの抜書きである。
 http://www.winterpalace.net/kkmk/pj/pj23.htm
余りにも異常な論理で不愉快になるかもしれませんが、少々我慢してお読みください。
 
     ☆☆・・・宣伝ビラから抜書き・・・☆☆
   ☆ 司会者(市の役人)が”国歌斉唱”と叫んでも、拒否する自由がある
 日本国憲法第11条・12条・97条は、12条後段の「他人の人権を傷付ける場合等」を除き、私たち市民一人一人の「基本的人権の尊重」を保障しています。 この人権条項に当たる、憲法第13条(「個人の尊重、自由権」を保障)、第19条(「思想、良心の自由」を保障)、第21条(「表現の自由」を保障)を、馬場弘融・市長や清水国夫・市教委生涯学習部長は、第99条(「公務員の憲法尊重擁護義務」を規定)に則り(遵守し)、行政を行わなければならず、成人式で、市民(新成人)に特定の歌を強制することは、違法です。 しかも、”君が代”歌の内容は、天皇(=君)の治世・時代(=代)が永遠に(=千代に八千代に)続いて下さいという、特定の人物を讃え、崇(あが)める思想(=”偉い人””偉くない人”という差別を助長するイデオロギー)を持っており、憲法第14条(法の下の平等を規定。【注1】参照)にも違反します。
従って、新成人の皆さんには、馬場市長や清水部長の押し付ける”君が代”斉唱を、拒否する自由があります。 具体的には、歌わない自由はもちろんのこと、イヤな歌を聞かされない自由のため、「今日の主人公は私たち新成人であり、天皇を崇める歌は要りません」「”君が代”に反対です」と発言する自由もあるし、”君が代斉唱”と称する時間(約1分弱)、式場外に退席したり、着席したりする自由もあります。
【注1】日本国憲法下の天皇は、戦前・戦中の”元首”ではなく、市民(「国民」という表現は在日外国人への配慮に欠けるので、私たちは、「市民」という語を使います)主権の下での”象徴”に過ぎません。
☆☆・・・抜書き終り・・・☆☆

上記の資料から、三点に絞り日本国憲法を「サヨク憲法」に改竄する例を記す。

★その1、「サヨク憲法」は、公共の福祉を無視する。★
 (サヨクの言う公共の福祉は、人権を傷つけないことである)
まず冒頭で、{日本国憲法第11条・12条・97条は、12条後段の「他人の人権を傷付ける場合等」を除き、私たち市民一人一人の「基本的人権の尊重」を保障しています。}とのべている。
憲法第12条後段は、「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」となっている。
これが、サヨク憲法では「人権を傷付ける場合を除き」という文章に改竄されてしまう。
13条には、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り」という条件が付けられているが、これも「サヨク憲法」では無視してしまう。

 しかも、基本的人権について記しているのは、憲法第11条であって第12条は基本的人権については記していない。それにもかかわらず、第12条で述べている「この憲法が国民に保障する自由および権利」をあたかも基本的人権であるかのごとく述べている。

彼等は「基本的人権とは何か」を知らないのだ。
   ⇒http://no9jo.at.webry.info/200606/article_1.html 参照

★その2、「サヨク憲法」は、平等を優先する。★
(サヨクは、第1条より第14条を優先する)
 君が代の内容については、特定の人物を讃え、崇(あが)める思想(=”偉い人””偉くない人”という差別を助長するイデオロギー)を持っており、憲法第14条(法の下の平等を規定。【注1】参照)にも違反します。」としている。
即ち、サヨク憲法では、『天皇は特定の人物である。従って、憲法第一条の規程は、第14条の“平等”の規程に違反する。』という条文になってしまう。即ち、第1条より第14条を優先し“平等”を優先する。

普通のまともな人間なら、どちらを優先するかを聞かれれば「どちらも同じ」と答えるか「若い方の番号即ち第一条を優先する」と答えるのだが、サヨクは自分に都合よい解釈をして勝手に第1条を改竄してしまう。これは、法学者”宮沢俊義?”達の洗脳にいとも簡単に引っ掛かってしまった結果である。


★その3、「サヨク憲法」は、市民主権を優先する★
 注に、「天皇は、市民主権の下での“象徴”に過ぎません」と書いている。
憲法第一条【天皇の地位・国民主権】は、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」となっている。
ところが、サヨク憲法では、『天皇は、市民主権のもとでの“象徴”に過ぎません』という条文になる。

結論
サヨクの連中の「平和憲法を守れと言いながら、第一条に規程された天皇制に反対する」という理解しがたい言動は、日本国憲法を勝手に書き換えた全く別の憲法即ち「サヨク憲法」に立脚していることが分かった。即ち、彼等が言う平和憲法は日本国憲法ではなく「サヨク憲法」だった。一般国民に理解できないのも当然といえる。
      平成17年10月31日

4、GHQ真理教信者
 戦後、GHQは「公職追放」という手段を用いて占領政策にとって邪魔になる人間を追放した。その数は、20万人ともいわれる。

 その状況を見ていた大学教授などがGHQの召使となった。法律学者の宮澤俊義などだ。

 宮澤俊義の憲法解釈などを教えられた学生は、前項で記述した如く、憲法第14条は憲法第1条より上位にあるなどということを言い出す。そして、「・・・・象徴である。」という条文を「・・・・単に象徴に過ぎない」と憲法の条文まで自分流に改竄してしまう。
 こうなるともうまともな人間ではない。宮澤俊義の信者即ちGHQ真理教信者なのである。そして「ソ連の核は良い核だが、アメリカの核は悪い核だ」なんてことを言い出す。それでも自分が騙されていることに気づかない。

 そうなると、原爆を落とされたのは「日本が悪かったからだ」なんて言いだすのである。
 広島の原爆慰霊碑の碑文「やすらかに ねむってください あやまちはくりかえしませぬから」という文章にもっとも典型的に現れている。これは、GHQ信者が書いた碑文だ。

 GHQ信者の行き着く先は、世界市民とか男女平等とかジェンダー・フリーである。
 これらは、人間性を喪失した感情のない人の終点である。(理由は後日に譲る)
 平成18年2月23日

5、教科書もおかしい!
今日(2/27)の産経新聞10面、一筆多論(石川瑞穂)より抜書き(・・・は略した部分)
☆☆・・・竹島は、歴史的にも法的にも、まぎれもない日本の領土なのである。・・・

竹島問題について韓国の国定教科書はこう書いている。「独島は鬱陵島に付属する島として、早くからわが国の領土であり続けてきた」
 
一方、竹島を含む領土問題について、日本の教科書(高校現代社会)はこう書いている。「ロシアとの間で北方領土問題があり、また、韓国と中国との間でも島の領有をめぐる紛争が潜在的にある」(東京書籍)
「日本は、ロシアとの間に北方領土という大きな問題をかかえている。また、韓国との間では竹島の帰属について対立しており、中国との間にも尖閣諸島問題がある」(第一学習社)

間違いではないが、どこの国の教科書か分からない記述だ。・・・ ☆☆(抜書き終り)

 ヒドイ教科書執筆者とヒドイ出版社が教科書をつくっている!!
 高校の教科書でさえ、こんな状況だ! 問題になっている中学校教科書が如何にひどいかわかるだろう。!
 平成18年2月27日

6、非常識裁判
 『神奈川県の県立学校の先生132名が県を相手取って裁判を起しました。「国旗・国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件」というなんとも長ったらしい件名ですが、要するに卒業式などで国旗に向って起立して国歌を斉唱するのはイヤだという裁判です。彼等はこれを「こころの自由裁判」と称していますが、国民の良識から遊離し、世界中が驚く非常識の極致、まさにギネスブックものです。』

 以上は、横浜地方裁判所前で配布されたビラの書き出しです。保守系の方々が書かれたものと思われます。

 先生は、国民の税金から給料を貰っています。給料を貰いながら、国が決めた法律に定められたことは心の自由を侵害するから守りたくないというのは、単なるダダッコです。親の脛をかじりながら親に文句をいう子供と同じです。

 彼等の論理がまた狂っている。 
 憲法26条は『すべての国民は法律の定めるところにより教育を受ける権利を有する』ことを定めており、学習指導要領は教育関係法体系の末端に存在している規定であり教育関係者が従わなければならないものである。
 彼等の論理は、自分が従いたくないと思えば、”心は自由”なのだから憲法に規定されている法律に従わなくて良いといっているのだ。しかもその根拠が憲法の別の条文なのだから、「こっちの条文は守らなければならない。こっちの条文はまもらなくてもよい」と言っているのと同じであり、まさに非常識の一語に尽きる。

 このように、憲法の自分の気に入った条文だけしか目に入らない先生は、完全に思考のバランスが崩れている。

 このような先生は、学校で勉強し教師になってからも学校で生活し学校のことしか知らず、国から給料をもらう生活となっても、子供のときと全く同じ精神状況なのでしょう。肉体は成長しても精神的な考え方は、子供の時のまま成長が止まってしまった状態にあると言えます。
 
 平成18年6月14日

 ××上記の視点から 【偏向教師配布パンフレット】 を見る ××

 『神奈川 こころの自由裁判』という6月13日に偏向教師たちが配布したパンフレット(No4)には、上記の保守系のパンフレットに対する反論を書いたつもりらしいが、内容は全く空疎である。それを引用する。
 ※※引用文※※
 私達は、「国歌斉唱」時の起立の強制は憲法違反であると主張しています。民間でも、上司が法律に違反する指示を出したとすれば、それを指摘してやめさせるのが常識なのではないでしょうか?※※引用終り※※

⇒憲法26条は、国民は法律でさだめた教育を受ける権利があることを規程しており、教師は学校教育法や「学習指導要領」に従って生徒を指導しなければならないのだ。

 即ち、国歌指導は「法律に則った指示」なのである。彼等は「こころの自由」を主張して法律に基づく指示に従おうとしないくせに、「民間の上司の法律違反の指示」にすり替えた例を挙げる。
 こんな矛盾にも気づかないほど、彼等は狂信的な考え方をしている。自分達が受けている指示が法に従っているという認識もないようだ。
 
 その次に書かれているパンフレットの文章が更に傑作だ
 ※※引用文※※
 私たち教職員は、法律に基づき教職員免状を取得し採用試験を経て仕事をしています。さらに教育基本法には、「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」とさだめられ、ひとりひとりの教員が責任を持って教育活動を行っています。 ※※引用終り※※

 ⇒ だったら法律に従って「国歌斉唱をキチンと指導せよ!」

 法律を守り、国歌斉唱をするのがいやで「こころの自由」を侵されると感じる教師は、学校を辞め、塾でも開いて教育すればいい。そこで国旗・国歌反対教育でもすればいいではないか! 職業選択の自由は何時でも保証されている。 そこでは、教育基本法や学習指導要領に縛られることも無い。こころの自由も思うままだ。
 教職にしがみつきながら、「こころの自由」がない!と叫んでいる姿は、まさにダダッコだ。

 教師に居座りながら国歌斉唱の指導もまともにしないなら、彼らは税金泥棒である。
 「追記」
 なお、本件は憲法の規程する「基本的人権」や「思想及び良心の自由」は何かという問題であり、我国の法曹界のリーダー達はとんでもない謝った考え方を、国民や日教組の教師達に吹き込んだ。それを盲目的に信じた結果が今回の訴訟である。

「国旗・国歌に対する忠誠義務不存在確認請求事件」裁判を傍聴して

 その1:「思想・良心の自由」より大切なものが見えない教師

 平成19年2月15日の横浜地裁において行われた原告側の女性教員による陳述の要点は、「自由および権利(人権と言ったかもしれません)は、究極の価値である」と言うものであった。憲法第19条の思想及び良心の自由は究極の価値があると言うわけである。

 こんなデタラメを学校の教師とあろうものが当たり前の如く陳述した。
憲法第12条は「この憲法が国民に保障する自由および権利」は濫用してはならないし公共の福祉のために使わなければならないのだから、濫用によって他の権利を侵してはならないし、「自由より公共の福祉の方が大切なだ」と言っている。即ち自由及び権利より大切なものがあるのである。 それなのに「自由を究極の価値」と主張するのは、憲法のつまみ食いである。
 このような教師に教えられた生徒は、かわいそうである。


彼等は「基本的人権とは何か」を知らないのだ。
   ⇒http://no9jo.at.webry.info/200606/article_1.html 参照
  
  平成18年6月23日追加 : 10月11日「追記」 ; 平成19年2月15日裁判傍聴の項追加。

 その2:戦争と結びつけば悪か!

 2月15日の裁判における教師の陳述では、「君が代は戦争と結びつくから歌いたくない」ということを盛んに強調していた。これがいかに馬鹿げているか! <平成19年2月18日の産経新聞「正論」を読んで>下記想定問答をつくった。

※・・・想定問答1、・・・・・・・・
先生:戦争は悪い。戦前「君が代」は戦争を行うために使われた。だから、「君が代」は良くない。
生徒:フーン
先生:だから私は「君が代」は嫌いである。憲法第19条は思想及び良心の自由を保障している。だから「君が代」は無視することにしている。(歌うときも起立しない。大“朝日”も我々の味方なんだぞー)
生徒:フーン、アッタマイイ!

※・・・想定問答2、上記「君が代」「税金」に変えました。・・・

先生:戦争は悪い。戦前「税金」は戦争を行うために使われた。だから、「税金」は良くない。
生徒:フーン
先生:だから私は「税金」は嫌いである。憲法第19条は思想及び良心の自由を保障している。だから「税金」は無視することにしている。(天引きされた税金を返還するよう裁判所に訴えるつもりだ。)
生徒:フーン、バカジャン。

  ※2/15裁判の教師の陳述では、君が代拒否の理由として「君が代が戦争と結びつく」ことを盛んに強調していた。 
  
 「戦争と結びつけば悪」という方程式はない。戦争と結びつくものは悪いというなら、この世の中で良いものは何一つないだろう。 朝日新聞などは、散々戦争へと国民を煽ったのだ。これでは新聞も発行停止である。「戦争と結びつくものは悪」だというなら、行き着くところは「人間の存在」そのものが悪ということになってしまう。

  このような考え方が現代の子供達の「自殺への誘惑」になっているのではないだろうか?

  学校の教師には「算数の方程式は得意だがものの見方ができない人」もいるようだ。
                      平成19年2月20日、2月24日改定。


★7、味気ない教師(卒業式の歌に見る)
 今の卒業式では、昭和20年代の定番であった「蛍の光」や「仰げば尊し」は歌われていない。その代わりにうたわれているのが、「大地讃頌」や「遠い昔」?らしい。その歌詞の味気なさには愕然とする。こんな歌を歌わせる教師の教養を疑う。
 歌詞を下記する。

◎ 今の卒業式でよく歌われる歌。

※ 大地讃頌
母なる大地のふところに  われら人の子の喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる人の子ら その立つ土に感謝せよ
平和な大地を    静かな大地を   大地をほめよ   たたえよ土を
恩寵の豊かな大地  われら人の子の  大地をほめよ   たたえよ土を
母なる大地を    たたえよ     ほめよ      たたえよ土を
母なる大地を    ああ       たたえよ大地を  ああ
 ★この歌詞を皆さんどう思いますか?式典で歌う歌としては命令口調の品のない表現が、筆者には聞くに堪えないのだが!

※ 遠い昔(訳 不明)
(1) 昔馴染が 忘れられていいか   けっして思い出されないままに
    昔なじみが忘れられていいか   遠い昔のことが
(2) 遠い昔のために おまえ      遠い昔のために 我ら
    友愛の杯を干そう          遠い昔のために
(3) 我ら二人は丘の斜面を駆け回った そして美しい雛菊を摘んだ
    だが我らは旅路に疲れさまよった 遠い昔の時以来
 ★この歌詞を皆さんどう思いますか?筆者には、品性のかけらも感じられないのだが。
 ・ 説明に『元の歌はAuld Lang Syne (1788年原詩版)ですが、すでに英語でも古語となっており、現代語訳のものもあります。』とある。

◎昔の卒業式で歌われた歌

※ 仰げば尊し
(1) 仰げば尊し 我が師の恩        教えの庭にも はや幾年(イクトセ)
    思えばいと疾(ト)し この年月(トシツキ)  今こそ別れめ いざさらば
(2) 互いに睦(ムツミ)し 日頃(ヒゴロ)の恩   別るる後(ノチ)にも やよ忘るな
    身を立て名をあげ やよ励めよ    今こそ別れめ いざさらば
(3) 朝夕なれにし 学(マナ)びの窓      蛍のともしび つむ白雪
    忘るるまぞなき ゆく年月       今こそ別れめ いざさらば  
 ★8・6調で整えられている。全体的な格調に加え、一番の「いととし」などには、込められた意味に勝る何かがかんじられるだろう。教師の労働者意識などと引き換えに歌詞が問題にされたのであろうか?味気ない教師ばかりになってしまったものだ。

※ 蛍の光
(1) 蛍の光 窓の雪        書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
    いつしか年も すぎの戸を   あけてぞ今朝は 別れゆく
(2) とまるも行くも 限りとて   かたみに思う 千(ち)よろずの
    心のはしを ひとことに    さきくとばかり 歌(うと)うなり
(3) 筑紫のきわみ 陸(みち)の奥 海山遠く へだつとも
    その真心は へだてなく    ひとえにつくせ 国のため
(4) 千島のおくも おきなわも   やしまのうちの まもりなり
    いたらんくにに いさおしく  つとめよわがせ つつがなく
 ★7・5調の歌詞である。原曲は外国であるが、典型的な日本の歌詞といえる。一番の「すぎのとを」などには、日本語の掛詞の妙を感じることもできる。この3番と4番の歌詞が戦争と関係があるとでも思ったのであろうか?通常一番と二番を卒業式では歌っていたのだから、せめてそのようにしてでも残して欲しいものだ。

★ 平和主義者は戦争をおこす危険人物である。↓
http://hajime1940.blog.ocn.ne.jp/hajime/2006/01/post_8ac1.html


 ★8、日教組が育てた模範的保護者の反撃

 平成18年7月23日産経新聞一面によれば、
『 「あの子の親と仲が悪いから、今すぐうちの子を別のクラスに移して」「うちの子がけがをして学校を休む間、けがをさせた子もやすませろ」・・。
保護者が教師に無理難題をいうケースが急増している。 』 そうである。

 しかし考えてみれば、この保護者たちこそ日教組が育てた人間であり、日教組の理想的な市民ではないか!以下に新聞に掲載された保護者の無理難題について考える。

 が新聞に書かれた保護者の無理難題、が日教組まがいの意見(筆者が書いた)
 保育園・幼稚園
1)「うちの子は箱入り娘に育てたい。誰ともけんかさせないという念書を提出しろ」
 みんなと仲良くと教えられたのに、子供の頃いじめられたことがある。先生のいうようにみんなの希望が満たされるような社会でなければならない。各人がそれを要求する権利がある。
2)「行事のスナップ写真でうちの子が真ん中に写っていないのはなぜだ」
 人は皆平等なんだから、みんな中央にいる写真を人数分だけとるべきだ。先生は、人は生まれながらに平等だと教えたではないか。今の日教組教育からすれば、当然の要求だ!
3)「子供が1つのおもちゃを取り合ってけんかになるからそのおもちゃを置かないでほしい」
学校は、競争を否定しているではないか。運動会でも差はつけられなかった。取り合いをして強い子が勝つのはおかしい。おもちゃをもてる子と持てない子が居るのは不平等だ。保護者の要求は当然だ。

 小学校
1) 「石をぶっつけてガラスをわったのは、そこに石が落ちていたのがわるい。」
 自由で豊かな生活をする権利がある。そのように社会をかえるべきである。石は片付けておくべきだ。そうなっていなかったのは社会が悪いからだ。権力者が悪いからだ。学校の周囲からは石のようなものは無くすべきだ。
2)「義務教育だから給食費ははらわない」
 国には教育の義務がある。義務教育は無償であるといったではないか。だから給食費もただにせよ。義務教育は親の義務でもあるなどということを聞いたことはない。日教組の模範的な教え子が保護者になったのだ。
3) 「(夜中に電話で呼び出して)飲食店での話し合いに応じろ」
 社会は個人生活を大切にすべきである。昼間は暇がないのだから、夜の話合いは当然な権利だ。先生は権利を主張するように我々に教えたではないか。先生は保護者の言うことを聞け!教師は労働者だと言ったではないか。偉そうなことを言う資格があるのか。教壇を無くしたのもそのためだろう?労働者なら労働者らしく残業して夜出て来い!

 中学校
1) 「(保護者がクレームを言いに来た日の)休業補償を払え」
 悪いのは、学校であり教師である。それによる休業なのだからその保障をするのは当然だ。
2) 「風呂に入らないので、入るように言ってほしい」
 保育園・幼稚園・小学校と社会が子供を育ててきた。子育ては社会の責任である。子供を育てる責任は社会にあるのではないか?今でも、保育園の充実など親が子育てせず、仕事に専念できる環境をつくるように猪口大臣が言っているではないか!しつけも教師が教えるのは、あたりまえだ!
3)「(けがをした生徒を病院に行かせたところ)なんでやぶ医者に行かせるんだ」
 親に無断で自分の子供を適当な医者にいかせるのはもっての他だ。行政は親の気持も大切にすべきだ。教師とて税金から給料をもらって働く労働者ではないか!真面目に仕事をしろ!

 新聞の本文には、
 『 ・・・・・先生達はお手上げだ。・・・全国の公立小中学校で精神疾患による教職員の休職者は一昨年度、病気休職者の56%を占める3559人に達した。10年前のほぼ3倍だ。・・・精神疾患による多くに保護者対応による疲弊が関係している・・・・』とある。

 以上の記事を読んでいてハッとしたことがある。
 それは教師(日教組の教師)自身が、自分達が日本の将来を担う大変なエリートであることに気づいていないのではないかということだ。
 全ての教師がそうだとは言わないが、日教組の教師達がはやく労働者意識を脱し、自分達が体制側も国民も一体であることを認識しないと、今後教師に対する訴訟が頻発すると予想する。
 その予兆はすでにあるのではないか?
 日教組の教師達は今自分の教え子達に反撃を食らい始めたのである。
      平成18年7月26日

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★学習指導要領の法的性格

 学習指導要領は,「学校教育法」の規定をうけて「学校教育法施行規則」で定められており,国民の権利義務に関係する「法規」としての性質を有する。

 ☆ 日本国憲法 第26条 第1項
 全て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。  ⇒
 ☆ 学校教育法 第20条
小学校の教科に関する事項は,第17条及び第18条の規定に従い,文部大臣が,これを定める。
準用:第38条(中学校)第43条(高等学校)第73条(盲学校,ろう学校及び養護学)  ⇒
 ☆ 学校教育法施行規則 第25条
 小学校の教育課程については,この節に定めるもののほか,教育課程の基準として文部大臣が別に 公示する小学校学習指導要領によるものとする。
 準用:第54条の2(中学校)第57条の2(高等学校) ,第73条の10(盲学校,ろう学校及び養護学校)  ⇒
小学校学習指導要領(中学校,高等学校,盲学校,ろう学校及び養護学校)
 ☆ 出典)作成日:平成12年7月19日 担当:教育委員会指導第一課より本欄用に編集(no9jo)
no9jo
2005/10/25 18:46

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7、憲法違反の日教組教育 no9jo/BIGLOBEウェブリブログ
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