no9jo

アクセスカウンタ

zoom RSS 5、日本は、台湾を「返還」などしていない(「台湾の声」より)

<<   作成日時 : 2005/10/31 12:19   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

目次
1、日本は台湾を「返還」などしていない(「台湾の声」より) 
2、台湾人の人権を大切にしよう(「台湾の声」より)
3、台湾二二八事件(本紹介)
4、台湾亭

★ 1、日本は台湾を「返還」などしていない (「台湾の声」より)

 日本では多くの書物が、「日本は敗戦により、台湾を中国に返還した」と記しているが、それは重大な誤りである。・・・実際には・・・日本は、サンフランシスコ講和条約で台湾に関する主権を放棄しただけであって(放棄後の帰属先は決せず)、そこを中国に「返還」した事実はないのである。たしかに敗戦後、台湾は中華民国によって統治されたが、それは日本から「返還」された結果ではなく、この戦勝国が勝手に「強奪」したとしか言いようがない。

 最近、東京書籍が発行する中学校用教科書『新しい社会科地図』が、台湾を中華人民共和国の領土と表記していることが問題になっている・・・

 以上は、10月22日の「台湾の声」{下注}からの抜書きである。台湾は現在親日的国家であるが、有力な次期総統と目される現台北市長・馬英九氏は極めて反日的と言われている。
 一方「台湾は中国の一部と誤解している日本人」が多いのも事実である。私たち日本人は台湾にもっともっと関心をもたなければならない。

 {注} : 「台湾の声」は、{ E-Magazene「台湾の声」 }で容易に検索できる。大変参考になることが多い。是非お読みください。
 平成17年10月31日

★2、台湾人の人権を大切にしよう
 上記の問題は、日本が台湾人に発行する身分証明証の国籍欄の表記に端的に現れている。なんと台湾人の国籍は「中国」となっているというのだ。これほど、台湾人の人権を無視した行為はないだろう。日本人として恥ずかしい。
 
 日本以外の国では、台湾人の身分証明証国籍記載は下記の如くであり日本の表記の異常さが分かる。(「台湾の声」より)
  米国   「 Taiwan 」
  カナダ  「 Taiwan 」
 イギリス 「 Taiwan-ROC 」(中国人はChina- PRC)
 シンガポール 「 Taiwan 」
  韓国  「 タイワン 」(発音表記) 
  ドイツ 「 Taiwan 」
  タイ  Taiwan(ROC)
 【皆で、抗議の声をあげようではないか!】

 {注} : 「台湾の声」は、{ E-Magazene「台湾の声」 }で容易に検索できる。大変参考になることが多い。是非お読みください。
 平成17年10月31日

★3、台湾二二八事件
 日本の皆様、二二八事件を御存知ですか?
台湾を知ることは、中国を知ることであり、日本自身を知ることでもある。
 ◎参考資料 ↓ 是非お読みください。
▲漫画 台湾二二八事件 阮美●(●=女篇に朱)著 まどか出版
  http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-944235-29-1.html
▲台湾二二八の真実 消えた父を探して 阮美●著 まどか出版
  http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-944235-28-3.html
 平成18年2月23日 

★4、台湾亭
  
 神奈川県大和市の大和駅北口から西(海老名)の方向に相模鉄道線に沿って10分ほど歩くと、右側にかなり広い森がある。引地川ぞいにある泉の森公園である。その公園の一角に六角形の異国風の建物がある。台湾亭である。

 標識もほとんどなく、どこにあるのかチョット見つけるが大変であるが、当てもなく歩いていると”こんなところに”と思うようなところに、静かに建っている。
その建物のそばに「台湾亭志」と題する次ぎのような銘文がかかれている。

  台湾亭志
 第二次世界戦中 一九四三年から翌年にかけて戦力補充のため青少年約八千四百余名が この大和市に新設された高座海軍工蔽に集結し 一部は実習を経て各軍需工場に配属され 終戦まで航空機生産の一端を担い続けた。
 その間米軍による本土空襲により 多数の犠牲者も出 戦後そのまま在留したもの以外 大部分は台湾に帰国したが 混乱の戦後を乗り越え落ち着きを取り戻した時 若き日の夢を托した大和市が第二の故郷として大きく胸に育まれた。
 一九八七年台湾高座会が発足 一九九三年日本高座会による五十周年記念大会に一千三百余名の会員が参加し 半世紀ぶりに旧地で再会の喜びに浸りあった。
 ここに両地の親善交流を 記念するとともに 世界平和への祈願をこめて 台湾亭 を大和市に寄贈し変わらざる友好のシンボルとする
                   台湾高座会
                   一九九七年九月六日  

 この説明文は、戦争中の昭和18年から台湾の15才位(13〜20才)の若者8千4百余名が日本に来て、寄宿舎で団体生活をしながら、工場に通い、戦闘機製造に携わった事、そしてその人たちが今も台湾高座会という団体をつくって親睦をはかっていることをのべている。

 以下 野口毅編集「台湾少年工と第二の故郷」展転社 を参考に記す.。

 当時、台湾は就職難の状況で、軍の動員で人手不足の日本が、仕事をしながら学校で学ぶことを条件に募集したところ、数十倍の競争率になり、それに合格した優秀な人たちが夢を抱いて日本にやって来た。

台湾少年工たちにとってもっともつらかったのは、空腹と冬の寒さだったようである。
 彼等が日本に来た時には、戦争も既に末期になり約束の勉強もろくろく教えられないまま、終戦を迎えてしまい彼らの夢はまさに夢に過ぎなかった。しかもこのとき米軍の空襲により数十名が死亡するという悲惨な状況もあった。

 こんなことをしたら、その他の国の人であったら今ごろ日本は何と言われたであろうか?強制労働をさせたと非難するであろうか?
 ところが、台湾の人たちは日本で働いたことを忘れず、大和市を第二の故郷とも思い、台湾亭を寄贈してくれた。
 日本で働いた事がその後の人生にとって、かけがえのない経験であったと感謝さえしてくれる多くの人々が居られるのだ。
 戦前の日本の情報は、歪曲されて悪い事ばかり教えられ、本当の姿を教えてくれる事がどんどん少なくなっていく中で、一年ほど前、この話を聞いたとき私は涙が出そうになったが、何故かホッとしたのを覚えている。

  ふるさとに 別れを告げて 飛機造る おもふこころは 唯国のため
 
 このうたは台湾少年工の日記に書かれた一首という。彼等の寄宿舎生活は、一室10人の生活だった。夜になり飢えや寒さに耐え、故郷を思い出して、一人が啜り泣きを始めると部屋全員が大声で泣き出すようなこともあったという。

 台湾亭のある泉の森公園の北側に善徳時という寺がある。正門を入ると右側に鐘楼が建っていてその南側に鐘楼を背にして建っているのが、空襲などで日本で亡くなった戦没台湾少年の慰霊碑である。

慰霊碑に刻まれた文の一部を抜粋する。

… 悪環境を克服し困苦欠乏に耐え…・・良くその責務を完うせり…・遺骨は故郷に帰れど…・・異郷に散華せる少年を想う時……・・涙また新たなり 

私が訪れたとき、この碑文には拓本をとったあとが鮮明に残されていた。

少年を死なせたことに心を痛めていた当時の海軍工蔽技手の早川さんという方が私財を投げ打って、亡くなった少年達の供養のために、この慰霊碑をたてた。昭和三九年、日本がオリンピックで浮かれていたころのことである。

慰霊碑の存在については、戒厳令のしかれていた台湾ではその後20年以上知られなかったが、その後次第に知られるようになり、最近はときどき善徳時を訪れる方もおられるという。

 台湾の人たちが親日的なのは、早川さんのような人がおられるからなのであろう。そして大和市の人たちとの交流は現在も続いているという。
 
 少年工の人たちは、海軍の所属であるから、亡くなった人たちは、靖国神社に祭られているかもしれないと調査をされた人もいる。本の編者野口氏等である。250万枚近い紙を一枚一枚めくって氏名を調べる膨大な作業は神社の関係者がしてくれたようだ。そして四十名が合祀されていることがわかった。

書類が全部残されていることも驚きだが、それを調べてくれた人たちもよく協力してくれたとおもう。種種の事情により手続きの洩れていたいた人たちも最近(平成11年)手続きがなされ、最終的に日本で亡くなった52名の台湾少年が靖国神社に合祀された。
 なを蛇足であるが、靖国神社への合祀は、所定の審査を経た後、天皇陛下に上奏してなされるのだそうである。

 台湾が親日的なのは、戦後台湾に来た中国人のヒドサに助けられた一面もあるが、戦没台湾少年の慰霊碑を建てた早川さんや靖国神社への合祀に奔走された野口さんのような人たちの存在も大きいと思う。
 当時の少年たちは、すでに高齢になり、いつまでこのような記憶・私たちの先輩が残してくれた遺産が残るのであろうか?日本人が悪かったという話だけになってしまうのであろうか?

 善徳寺を訪れた人の中には、つぎのような文を残している人も居られるという。
「大和市の善徳時の太平洋戦争戦没台湾少年の慰霊碑の碑文を読み返す度に、新たなる涙の頬を伝いくるを禁じえない。これは遠い歴史の回顧ではない。遠い異国の物語でもない。私の竹馬の友が何人も高座海軍工蔽で働いていたのだ。一死を免れ故郷に帰った者も遂に進学する機会を奪われ人生の夢を無残にもこなごなにうち破られたのである。しかしこれはほんの一例にすぎない。大日本帝国の為、少年志願兵、学徒兵、軍属となって生命を奪われ、人生を狂わされた台湾人は数知れず、私もその一人である。」

 このような人たちがおられるのもまた戦争の傷跡である。決して、台湾の人たちがいつまでも親日的であるという保証はない。

 台湾は、戦後国民党軍によって蹂躙され、日本よりもずっと苦しい状況下に置かれた。

台湾では、中国からやって来た外省人と呼ばれる15%の人たちが長い間政治の実権をにぎっていた。
戦後反日教育を受けた人たちも育っている。反日的な本省人も大量に育っている。台湾外務省は、中国政府の傀儡とも言われているらしい.。

  雑誌「正論」平成13年5月号に次ぎのようなに文がある。
『…・台湾本省人が再び本当の親日家となる日があるのか、と言えば「難しい」と解答するしかない。なぜか? 米国は事あらば第七艦隊を台湾海峡に派遣して台湾を防衛する意思を鮮明にした。台湾の外交は99%米国を見ており、エリートは全て米国へ留学する。ひるがえってわが国は外交的に台湾を無視してきた。北京にペコペコし中国共産党指導者に尻尾を振ってなびく政治家、台湾に冷淡なマスコミを見れば重ねての説明はいるまい。(宮崎正弘)』
 
 親日的な李登輝元総統の日本入国さえ認めようとしない状況が長く続いた。アメリカやヨーロッパなどには自由に行っているのにである。日本の外務省の“ことなかれ主義”には怒りを禁じえない。台湾の外省人が反対しているという説もあるのだが、少なくとも、台湾本省人には、日本が味方であることをメッセージとして送りつづける必要がある。
 今後、台湾もまた“日本”に対して謝罪を求める国になるのであろうか?これは時間の問題なのか?日本人は謝罪を求める国にしか顔を向けてくれないではないかという疑念が既に宿り始めている。

 もしそのように進行するとすれば、現在の中国や韓国の要求と同様に、戦後の謝り癖・戦後日本人の態度が呼びこんだものである。

 “戦前の日本は悪かった”と私たちの先祖の顔に泥を塗ったのは、戦後の私たち自身なのだ。(平成13年4月14日)
平成18年4月12日掲載


no9joホームへ ⇒http://no9jo.at.webry.info/

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
台湾で神様になった日本人?
今回は、ブログ「反日ワクチン」管理者小楠様よりコメントにて教えて頂きました「台湾で神様になった日本人」モリカワ・セイジロウ巡査の話です。 ...続きを見る
日々是桜
2006/05/10 11:40

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
5、日本は、台湾を「返還」などしていない(「台湾の声」より) no9jo/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる