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zoom RSS 基本的人権とは何か。(1)

<<   作成日時 : 2006/06/27 02:36  

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 ★★★ 基本的人権とは何か。 ★★★
 副題:基本的人権を踏みにじった東京地裁

 ★1、はじめに

 自由主義国家アメリカが共産主義国家中国を牽制するとき、“人権問題“を取り上げる。ところが日本に於いては、保守系の方々が”人権を蔑ろにする共産主義者よって”人権問題“で裁判に持ち込まれるという信じられないような事態があり、ときには彼等の言い分が通ってしまうことがある。
その典型が、先日(平成18年9月21日)の東京地裁が示した「日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法」との判断である。これは「思想及び良心の自由」を過大に評価したもので、常識人にとっては受け入れがたい。
 どこかが狂っている。我が国の裁判官のもっている人権の概念は、常識とかけ離れているのではないか?
以下、横浜の教育を考える会 代表 湯澤甲雄氏のお話及びメールをもとに「人権について」記した。(文責:no9jo)

★2、「東京地裁異常判決」から提起される問:「人権とは何か」
前述の東京地裁で異常な判決が出た原因は憲法第19条に規程されている「思想及び良心の自由」を誤って解釈しているところにあると考えられる。
そこで提起されるのが「“人権”とは何か?“思想及び良心の自由”とは何か?」という“問”である。

★3、日本国憲法の言う「基本的人権とは何か」

@ 憲法第11条はつぎのように言う。
第十一条【基本的人権の享有と性質】
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

 ここに言う「基本的人権とはなにか」

A 憲法第12条は次のように言う。
第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

憲法は、第11条の言う「この憲法が国民に保障する基本的人権」と第12条の言う「この憲法が国民に保障する自由及び権利」の二つを区別している。
しかも、第11条は「基本的人権」について「侵すことのできない永久の権利であり、国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」とする一方、第12条は「自由及び権利」について、「濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」としているのである。
 
 後者は、「思想及び良心の自由」や「表現の自由」・・・等々でありこれらを本稿では湯澤さんの表現に従って、「個別人権」と呼ぶことにする。

B 憲法第十九条は次のように言う。
 第十九条【思想及び良心の自由】
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 第19条に言う「思想及び良心の自由」は憲法第12条に言う「この憲法が国民に保障する自由」であるから、第12条の言う通り「国民は、@これを濫用してはならないのであつて、A常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」という二つの制約をうけるはずである。 「思想及び良心の自由」は侵すことのできない「基本的人権」ではない。

 ☆憲法への疑問 
 何ゆえ日本国憲法は、もっとも大切な基本的人権についての説明がないのか?これはGHQが仕組んだ罠だったのか?

☆東京地裁判決への疑問
 思想及び良心の自由に重きをおいた東京地裁の判決は、「自由の濫用」・「公共の福祉」の視点から、第12条に違反しいるのではないか。

★4、国際規約がいう「基本的人権」とは

 「国際人権規約(B規約)」は、この規約の骨格を次のように規定している。。
・・・・・・・以下、湯澤さんからのメールの抜粋です。・・・・・・・・・・・・
 第一には、その序文の中に(1)人間固有の尊厳に由来する「基本的人権」と(2)それを助長するために国連が創造した条件としての「個別人権」とを区別しています。
その「個別人権」は、同規約三部に定める諸人権であります。
これを日本国憲法でいえば、11条「基本的人権」と14条から40条までの「個別人権」の条文の区別が相当します。
 第二には、同規約5条2項により「基本的人権」については、「個別人権」を含むこの規約の範囲の規定の仕方を理由として、制限し侵すことは許されないとしています。
 これは日本国憲法でいえば、11条「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」に相当します。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【参照】
 「市民的及び政治的権利に関する国際規約(International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights)(B規約)」の前文と5条について英語と日本語を示す。緑字は、基本的人権・個別人権に関わるところを示した。
(英語) ↓
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/mt/19661216.O1E.html  より写す。
(日本語) ↓
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/gijiroku/002/020901hd.htm より写す。

前文(英文)
The States Parties to the present Covenant,
Considering that, in accordance with the principles proclaimed in the Charter of the United Nations, recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world,
Recognizing that these rights derive from the inherent dignity of the human person,
Recognizing that, in accordance with the Universeal{sic} Declaration of Human Rights, the ideal of free human beings enjoying freedom from fear and want can only be achieved if conditions are created whereby everyone may enjoy his economic, social and cultural rights, as well as his civil and political rights,
Considering the obligation of States under the Charter of the United Nations to promote universal respect for, and observance of, human rights and freedoms,
Realizing that the individual, having duties to other individuals and to the community to which he belongs, is under a responsibility to strive for the promotion and observance of the rights recognized in the present Covenant,
Agree upon the following articles

前文(日本文)

 この規約の締約国は、国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものであることを考慮し、
これらの権利が人間の固有の尊厳に由来することを認め、
世界人権宣言によれば、自由な人間は市民的及び政治的自由並びに恐怖及び欠乏からの自由を享受するものであるとの理想は、すべての者がその経済的、社会的及び文化的権利とともに市民的および政治的権利を享有することのできる条件が作り出される場合に初めて達成されることになることを認め、
人権および自由の普遍的な尊重及び遵守を助長すべき義務を国際連合憲章に基づき諸国が負っていることを考慮し、
個人が、他人に対し及びその属する社会に対して義務を負うこと並びにこの規約において認められる権利の増進及び擁護のために努力する責任を有することを認識して、
次の通り協定する。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第5条 (英文)
Article 5
1. Nothing in the present Covenant may be interpreted as implying for any State, group or person any right to engage in any activity or perform any act aimed at the destruction of any of the rights and freedoms recognized herein or at their limitation to a greater extent than is provided for in the present Covenant.
2. There shall be no restriction upon or derogation from any of the fundamental human rights recognized or existing in any State Party to the present Covenant pursuant to law, conventions, regulations or custom on the pretext that the present Covenant does not recognize such rights or that it recognizes them to a lesser extent.

第5条 (日本文)
1  この規約のいかなる規定も、国、集団又は個人が、この規約において認められる権利及び自由を破壊し若しくはこの規約に定める制限の範囲を超えて制限することを目的とする活動に従事し又はそのようなことを目的とする行為を行う権利を有することを意味するものと解することはできない。

2  この規約のいずれかの締約国において法律、条約、規則又は慣習によって認められ又は存する基本的人権については、この規約がそれらの権利を認めていないこと又はその認める範囲がより狭いことを理由として、それらの権利を制限し又は侵すことは許されない。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 序文(前文)および第5条2項によれば、「基本的人権」とは、人間の固有の尊厳に由来するものであり、法律、条約、規則、慣習によってみとめられるものであり、制限し侵すことは許されないものである。即ち、憲法第14条から第40条までの条文が述べる「個別人権」は「基本的人権」を守るためにあるのである。
 戦後、宮澤俊義などのGHQ御用学者が「憲法の中で最も重要な条文は第14条だ」などと学生をたぶらかし、それに騙された人々を大量に産出した。頭の良い人というのは、憲法解釈の権威といわれる人の言うこととか権威のある人の著書に書いてあることを盲目的に信じてしまうことがあるようだ。一度だまされると、「憲法第一条より第14条が重要だ。第一条の”象徴である”を”象徴に過ぎない”」などと言い始める。それでも騙されていることに気づかない。こうなるともう留まるところを知らない。ソ連の核は良い核で、アメリカの核は悪い核などと平然と言い放つようになる。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

★5、外務省や日本弁護士会の「国際人権規約」解釈がもたらす混乱

湯澤さんのメールより更に写す。

一方、外務省や日本弁護士会から出されている「国際人権規約」逐条解説によりますと、原文の記載とまるで違います。
第一に、「基本的人権」と「個別人権」の区別の解説が無いばかりか、「基本的人権」も「個別人権」も区別することなく一緒くたにして「基本的人権」と称したり、「人権」と称しています。
第二に、一緒くたにした人権を、侵してはならないとしています。
つまり外務省と日本弁護士会は、「基本的人権」に関する国際的概念を破壊することによって、根本的な法秩序を壊乱させる革命思想を定説として逐条解説していますので、かかる概念は放逐すべきであります。
 この定説化した革命思想は、例えば「個別人権」たる思想、良心の自由が日本人の「基本的人権である「国旗・国歌」を侵す司法判断となって現れたりあるいは、国連の左翼勢力と連携して、「個別人権」である児童の権利、人種差別・女子差別の撤廃の権利等が、日本人の「基本的人権」である「習俗、習慣、道徳、法律、文化、伝統的宗教、家族の結合」等を凌駕する行政となって現れて、社会壊乱の様相をていしています。また日本国憲法は、義務教育を個別人権として規定し、義務教育に関する事項を法律事項としていますが、無意識に従来どおりの革命思想にかぶれたままでいて、教育改革法案が出来るのだろうかという疑問もあります。

 この世の中で日本人が大切にしなければならない心は何かという原点に立って、自由民主主義の根本をなす「基本的人権」を最も大切にすべき概念であることについて、国際人権規約の原文に学んだ後に実務に着手していただきたい・・・・以下略
 <<「外務省の翻訳について」は後述する>>
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


★6、国歌斉唱時の起立要求はCustom、即ち基本的人権である。
 日本語では、customを慣習と訳している。昭和31年(1956)発行の英英辞書「IDIOMATIC AND SYNTACTIC ENGLISH DICTIONARY」縮刷版第9版・開拓社によれば、単語customを使った最初の文例がCustom requires us to stand at attention when the national anthem is played.である。即ち、国歌斉唱のときcustomが我々に起立することを要求するという。国歌斉唱のときの起立要求は、まさに基本的人権そのものである。それを阻止しようとするのは、基本的人権に対する侵害以外のなにものでもない。

従って、今回の東京地裁判決は、「思想及び良心の自由」という個別人権によって「基本的人権」を侵したものである。<<「慣習については後述」する>>

★7、法曹界の方々が基本的人権を誤解した原因の推測。

<原因 その1>、憲法、条約成立の時期的問題
まず、日本国民が守らなければならない人権にかかわる「日本国憲法」と「条約」についてその経緯を見てみる。

日本国憲法
マッカーサーノート  1946.2.3. 、 2.4.〜2.9.GS民生局審議
草案   .2.13.  日本側に手交
公布           .11.3.
施行         1947.5. 3.
  
世界人権宣言
1948年12月10日に第3回国連総会にて採択

国際人権規約
(1) 国連人権委員会、1949年〜1954年 草案の作成、審議
    1954年、「A規約」「B規約」の草案
 (2)国連総会第3委員会、1954年〜1966年審議
    1966年12月16日、総会にて全会一致で採択
 (3)批准
 ◎ 経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(A規約) 1979年 6月21日 日本批准
    (1979年8月4日条約第6号)
 ◎ 市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)1979年 6月21日 日本批准
     (1979年8月4日条約第7号)

 国際人権規約の採択は、草案作成から実に17年の歳月を要している。国連で採択後さらに13年のちに、日本が批准した。 ↓
  http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/2a_001.html
 上記経緯をみると、日本国憲法が規定する基本的人権については憲法に説明がなく、我国の憲法学者はフランス革命当初の1789年8月26日に憲法制定のフランスの国民議会が議決した「人と市民の権利の宣言」の第1条で「人は生まれながらにして自由かつ平等の権利を有する」という思想を取り入れ、“基本的人権”と“個別人権”を峻別することをすることなく、解釈してきたのではなかろうか。
 そして、草案から17年を費やして1966年(昭和41年)国連総会で全会一致で採択された「国際人権規約」の規程にも目をつむったままだった。さらにこの規約を条約として日本が批准した1979年(昭和54年)以降も目を開こうとしなかった。これは、単なる惰性なのだろうか?

 <原因 その2>、「憲法第十一条の“享有”」という言葉
法曹界の方々は、恐らく憲法第十一条に出てくる「享有」という言葉に重きをおき、条約を無視しているのではないか?広辞苑(昭和44年第2版)で調べると『享有:生まれながらに身に受けてもっていること』とある。それが、第5版(電子辞書版)になると『享有:権利・能力などの無形のものを、生まれながらに身に受けて持っていること。「基本的人権のーー」』と、憲法の条文を意識した(権利と基本的人権をごちゃ混ぜにする意図を感じさせる)説明に変わっている。これは、法曹界の方々の多くが、基本的人権の意味を広辞苑第5版の如く理解している一つの裏付けになるのではなかろうか。

上記二つの理由によって、基本的人権と個別人権を峻別することなく過ごしてきたのではないだろうか。

 結果として、日本の法曹界の人権に関する認識は、国際的なそれとは全くかけ離れた日本法曹界独自のものになっているに違いない。ここに我国に於ける混乱の原因が潜んでいると思う。憲法の根幹に関わる人権問題について現在の法曹界にゆだねることができないとすれば、憲法解釈に関わってきた法曹界リーダー達の責任は重い。

★8、終りに

 我国が批准した国際人権規約によれば、「基本的人権」とは、人間の固有の尊厳に由来し、法律、条約、規則、慣習によってみとめられるものであり、制限し侵すことは許されないものである。国歌斉唱の際に起立を要求するのは慣習そのものであり、基本的人権である、従って、先の東京地裁判決は、「思想及び良心の自由」という個別人権によって「基本的人権」を侵したものである

 3月3日のひな祭り、5月5日のこいのぼりなど、伝統的な習慣・行事などもcustomである。このような伝統や慣習を破壊する男女共同参画基本法や人権擁護法案、児童の権利条約等々に対する対応も「基本的人権」の視点から、見直す必要がある。 

「学習指導要領に関する補足」

 学校における国旗・国歌の指導については、学習指導要領に定められている。
「学習指導要領」は,「学校教育法」の規定をうけて「学校教育法施行規則」で定められており,国民の権利義務に関係する「法規」としての性質を有する。 その流れを記すと次のようになる。
 ☆ 日本国憲法 第26条 第1項 全て国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、等しく教育を受ける権利を有する。  ⇒  
☆ 学校教育法 第20条小学校の教科に関する事項は,第17条及び第18条の規定に従い,文部大臣が,これを定める。準用:第38条(中学校)第43条(高等学校)第73条(盲学校,ろう学校及び養護学)  ⇒  
☆ 学校教育法施行規則 第25条 小学校の教育課程については,この節に定めるもののほか,教育課程の基準として文部大臣が別に 公示する小学校学習指導要領によるものとする。 準用:第54条の2(中学校)第57条の2(高等学校) ,第73条の10(盲学校,ろう学校及び養護学校)  ⇒
☆ 小学校学習指導要領(中学校,高等学校,盲学校,ろう学校及び養護学校) 
<平成12年7月19日 担当:教育委員会指導第一課資料より編集(no9jo)>

 従って、「国旗・国歌の指導」については法規としての性質をもっており、国際人権規約の規程する「法律」の面からも基本的人権である。
                                     以上
     平成18年10月6日 、10月10日「学習指導要領に関する補足」追加

宗教的視点について

 本稿に対して「宗教に関する視点からの考証がない」との批判がありました。西欧人あるいはイスラム教の国々の人々には「人間と獣の違い」は、「宗教心があるかないか」である。「宗教心のない人間は獣にすぎない。お付き合いはお断わり」と考える人が多い。このような視点からすれば、宗教を信じるものにとっては「宗教こそ基本的人権である」
 
 それは、イスラム教に対する報道のあり方、その注意深い態度や表現の配慮の必要性等を考えれば、体験的に感じ取ることができる。同様に我々は我国の宗教あるいは習俗とも言うべき、神社参りや風俗・習慣などを誹謗する行為にたいしても「基本的人権の視点」から鋭敏な感覚を持ってそれを保守しなければならないことは言を待たない。

 このような意味において、宗教こそ基本的人権の本質にかかわる領域である。

 宗教の視点から見た場合、無宗教論者であるマルクス主義者・共産主義者の「基本的人権」は全く「無機質なものであり、異質なものである」ことがわかる。
 このことを認識し、「人権」にかかわる論議は慎重でなければならない。ましてや、地方行政における人権条例の制定などは安易に行うべきではない。
    平成18年12月18日

慣習について

私たちは、毎朝人に会うと、「おはよう御座います」と挨拶する。これは習慣である。これを「禁止すべきである」と言ったら、その非常識を疑われるであろう。これは慣習だからである。

御飯を食べる時、「頂きます」「ご馳走様」を言うのも慣習である。

多くの人が正月には、「明けましておめでとう御座います。今年もどうぞよろしく」と挨拶する。そして神社に参拝する。お盆には、先祖の霊を慰め感謝する。これも慣習である。

3月3日ひな祭り・5月5日のこいのぼりも全ての家で行うとはかぎらないが慣習である。

アイヌ人なら彼等の神話「ユーカラ」を大切にするだろう。それもまた彼等の慣習と言える。

このことから言えることは、慣習とは子供の成長過程で獲得していくものであり、親の子育てと極めて関係の深いものである。そして慣習の獲得に関わる教育をするのもまた親の慣習と言えるものであることがわかる。これは遠い遠い昔からの長い長い人間の営みにおいて育まれてきたものなのである。

例えば人に出会ったときの挨拶は親の命令によってする行為ではない。一見親に命じられているように見えるが、実は慣習が親に教育を要求しているのであって、結果として子供は、慣習の要求によって挨拶しているのである。

国歌を歌うときに私達が起立するのもまた同様である。世界中どこの国でもそうだ。これは他人の命令によって起立するのではない。慣習が私たちに起立することを要求しているのである。この慣習には、私達の住むこの郷土・この国はすばらしい国だと誇りに思い、私達が皆協力して良い国にしていかなければならないという願いが込められている。これこそが私達のアイデンティティーと言われるものである。

それは同時に他国を尊重し他国の国旗や国歌を大切にする気持ちに繋がっていく。

このあまりにも自明のことが理解できない人間、国歌斉唱のときの起立要求を「命令」或いは「強制」としか受取れない教師というのは、アタマデッカチの「理屈」に騙されやすい人間としか言いようがない。

児童の権利にかんする条約第8条はつぎのように述べる。
第8条
1 締約国は、児童が法律によって認められた国籍、氏名及び家族関係を含むその身元関係事項について不法に干渉されることなく保持する権利を尊重することを約束する。
2 締約国は、児童がその身元関係事項の一部又は全部を不法に奪われた場合には、その身元関係事項を速やかに回復するため、適当な援助及び保護を与える。

即ち、国は児童が日本の国籍を含む身元関係事項について保持する権利を尊重しなければならないのであって、児童には我国の国籍を持つものとしてのアイデンティティー・「国旗・国歌」にかかわる諸事項について学ぶ権利がある。
平成19年2月19日、平成19年2月20日改定


外務省の翻訳がもたらす誤解について。

 慣習について前述した如く、国や地域によって挨拶の仕方や宗教・習俗が異なること、或い各家庭によっても“しきたり”や習慣があり、基本的人権にかかわる社会的な集団の最小単位は個人ではなく家庭であることが容易に想像されるであろう。

 国際人権規約の外務省の翻訳文が私たちに与える誤解の最大のものは、この国や地域、或いは家庭などの概念が極めて薄められたものになっていることである。

 その原因は、the human familyの訳にある。即ち

★前掲の世界人権規約(B規約)前文の最初の3行ほどの英文と訳文を下記する。

「原文(英文)」
The States Parties to the present Covenant,
Considering that, in accordance with the principles proclaimed in the Charter of the United Nations, recognition of the inherent dignity and of the equal and inalienable rights of all members of the human family is the foundation of freedom, justice and peace in the world,・・・
「訳文」
 この規約の締約国は、国際連合憲章において宣明された原則によれば、人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなすものであることを考慮し・・・

※ここではthe human family人類社会と訳している。人類社会と訳すと何か猿の社会とか犬の社会があるか否かは別として、それらと比較して人類全体を一般化した存在としての人類と受取ってしまうだろう。しかし、この翻訳は正確な意味を伝えていない。

 この言葉は、児童の権利に関する条約の前文などにも世界人権規約(B規約)を引用して、the human familyが出てくるがここでも人類社会と訳している。しかし、さらに読み進むと次の文が出てくる。

児童の権利に関する条約前文にある文章:英文と訳文
「原文(英文)」
Convinced that the family, as the fundamental group of society and the natural environment for the growth and well-being of all its member and particularly children, should be affordered the neccessary protection and assistance so that it can fully assume its responsibilities within the community,

「訳文」
家族が、社会の基礎的な集団として、並びに家族のすべての構成員、特に、児童の成長及び福祉のための自然な環境として、社会においてその責任を十分に引き受けることができるよう必要な保護及び援助を与えられるべきであることを確信し、

※上記の文章をみれば、the human familyが一般化された人類社会ではなく、家族とかグループとか地域に根ざした集団を意味していることは明らかである。即ち、人権問題は「社会の基礎的な集団」としての家族が主役なのである。

さらに例をあげるならば、
★国際人権規約(B規約)第10条1項はつぎのごとくである。
「原文(英文)」
「The widest possible protection and assistance should be accorded to the family, which is the natural and fundamental group unit of society, particularly for its establishment and while it is responsible for the care and education of dependent children.」

「訳文」
できる限り最大に広範な保護及び援助が、社会の自然かつ基礎的な単位である家族に対し、特に家族の基礎を固めるために与えられるべきである。同時に扶養児童の養育及び教育について責任を有する家族に対し、同様に与えられるべきである。

※以上から、人権に関する権利とか自由とかを論ずる時、家族を離れて考えるのは根本的にまちがっている。
日本国憲法に於いて「個人の尊厳」ばかりを強調するのもいかがなものであろうか?
 平成19年3月6日

拉致問題について
 上記国際人権規約第10条1項にあるごとく、「できる限り広範な保護及び援助があたえられるべき」は「家族」である。即ち家族こそ基本的人権の要なのである。拉致は、家族を引き裂き会えなくしてしまったという「侵してはならない基本的人権の侵害問題」である。
 このような人権感覚が欠如し、もっぱら思想及び良心の自由とか表現の自由などの個別的権利ばかりを主張する人達が居るのは嘆かわしいばかりである。ましてや各地にある人権センターなどが拉致問題に全く関心を示さないのは、異常である。
 また、公共放送を標榜しているNHKが拉致問題に極めて不熱心であったのには、驚かざるを得ない。
 平成19年3月27日

 本稿を読み終わりましたら、下記を是非お読みください。
 ⇒ 基本的人権とは何か。(2)
「左翼から基本的人権の奪還について」 ↓ ↓ ↓
    http://no9jo.at.webry.info/200510/article_8.html
    平成18年12月18日

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